上手くなりたんだったら「弾くな」。
上手くなりたいなら弾くな
「曲がひと通り弾けるようになったら、
あとはどうやったら良い演奏になるのかわからない」
「とりあえずレッスンで言われたように弾いているけど、
自分では良いのか悪いのかよくわからない」
こんなふうに感じている方は多いのではないでしょうか?
以前の私もそうでした。
とりあえず先生に言われたように弾いてみるけど、
何が正しいのかよくわからないし、
よくわからないからつまらない。
もしあなたも同じように感じているとしたら、
私からアドヴァイスがあります。
そんな状態なら
「絶対に弾いてはいけません」。
*
当時、高校生だった井崎さんは
音大ピアノ科合格を目指し、
音大ピアノ科合格を目指し、
受験の自由曲である
ショパンの「幻想曲Op.49」を練習している時期でした。
ショパンの「幻想曲Op.49」を練習している時期でした。
課題曲のバッハはレッスンでも
それなりに問題ないといわれているけど、
それなりに問題ないといわれているけど、
ショパンはどうも表現力が乏しい、らしい。
どうしたら表現力豊かに演奏できるのかな…?
練習のたびに頭を悩ませ、
ああでもないこうでもない
ああでもないこうでもない
と自分なりに表現を変えてみるものの
結局レッスンでは同じ指摘を繰り返される。
もう一体どうしたらいいの…?
そんな折に、彼女が以前から尊敬していた
ピアニストの演奏会の
情報を目にする機会がありました。
ピアニストの演奏会の
情報を目にする機会がありました。
プログラムはショパン、幻想曲。
行くしかない。
すぐさまチケットを買いました。
そして迎えた演奏会当日。
1音たりとも聴き逃すまいと、
聞く側としても気合が入ります。
聞く側としても気合が入ります。
袖から颯爽と登場したピアニスト。
憧れていたその姿は、目前にしてみても
ステージ上でなお遠い存在に思われました。
椅子に腰掛け、ピアノに向かった彼を
会場中が固唾を飲んで見守る。
静寂。そして__。
最初の1音を出した瞬間に
自分の演奏との大きな差を目の当たりにした気がしました。
自分の演奏との大きな差を目の当たりにした気がしました。
溢れる歌心。繊細かつダイナミックな表現。
その演奏には自分にはない『何か』がある。
はっと息をのみ、
その息を吐くのを忘れてしまうほど、
その息を吐くのを忘れてしまうほど、
心を打たれた。
拍手を送っている間も、
会場を後にしてからも、帰り道でも、
あたかもまだ目の前で演奏が続いているかのように、
彼女の耳はピアニストの演奏を聴き続けていました。
彼の弾く幻想曲を。
私もあんなふうに弾けたら……。
どうやって練習すればあんなふうになれるの……?
感動の余韻と無力感が
ないまぜになったため息がこぼれる。
ないまぜになったため息がこぼれる。
どんなふうに練習をすれば良いのか、
答えは出ないまま部屋のドアを開けます。
頭の中ではまだ幻想曲が鳴り響いていました。
とにかく練習しよう。
ピアニストが弾いた幻想曲の音に自分の音を重ねるように、
徐ろに弾き始めました。
あれ・・・?
いつもと違う・・・?
なんだか、音が綺麗だ。
音を出した瞬間に変化に気がつきました。
その時の演奏には、
いつもの彼女の演奏にはない『何か』がありました。
いつもの彼女の演奏にはない『何か』がありました。
それは即物的にいってしまえば
的確なタッチと躍動するリズム感といったところでしたが、
彼女自身にしてみれば、それは不意に音楽の神が、
あるいはショパンの魂が、
あるいはショパンの魂が、
彼女に乗り移ったかのように感じられたのです。
なぜかしら指もよく回り、
いつもミスするフレーズがうまく弾けました。
そしてなにより、楽しかった。
ピアノのを弾くのがこんなに楽しいなんて、
随分前から感じなくなっていた。
*
身体は音とタッチを覚えている
この話は私自身の経験に
基づくフィクションです。
基づくフィクションです。
しかし、あなたもどこかで
これと同じような経験を
これと同じような経験を
されているんじゃないでしょうか。
卑近な例で言うと、カラオケなんかでも
こういうことはあります。
耳につくほど同じ曲を聞いてから行ったカラオケでは
いつもより上手く歌えるなど。
これは結局あなたが音楽を、音を、
どれだけ強くイメージすることができるか
という問題なのです。
という問題なのです。
音を強くイメージすることさえできれば、
毎日練習を欠かさなかったあなたの身体は、
イメージした通りの音を出す感覚をちゃんと知っています。
あなたが意識して身体をコントロールせずとも
勝手に身体が動いてくれるのです。
イメージすることさえできれば。
第一、
あれだけ複雑を極めるような指の動きを
どうして意識的にコントロールできるはずがありましょうか。
身体感覚のみを意識していると
あなたの身体はいずれ悲鳴をあげます。
あなたの身体はいずれ悲鳴をあげます。
力を抜こう、リラックスしよう。
そんな考えを持つたびに、
裏腹に身体は緊張するでしょう。
その先にはなにがあるか。
故障です。
腱鞘炎、神経の麻痺。
ピアノを弾くことすらままならなくなる可能性すらあります。
私は理屈に合わないことは嫌いですが
これを論理的に証明してくださいと言われると困ってしまいます。
練習の積み重ねにより
どんなタッチでどんな音が出るのかを脳が記憶しており、
音をイメージすることによって
タッチの記憶も同時に呼び覚まされる、
ということかと考えています。
あるいは、耳でよく演奏を聴いていれば
出した音に対して、
イメージとの違いを素早く認識し修正する力が働く
ということであるかもしれません。
これを論理的に証明してくださいと言われると困ってしまいます。
練習の積み重ねにより
どんなタッチでどんな音が出るのかを脳が記憶しており、
音をイメージすることによって
タッチの記憶も同時に呼び覚まされる、
ということかと考えています。
あるいは、耳でよく演奏を聴いていれば
出した音に対して、
イメージとの違いを素早く認識し修正する力が働く
ということであるかもしれません。
いずれにせよ
イメージができるということが
音楽をする上で最も重要な事柄であり、
これは疑いようのない事実です。
もしあなたが今
ご自身の中に確固たる音楽がない状態で、
ただ楽譜の指示通りに、あるいは
先生の指示通りに弾くことに注力していて、
さらにその状態を今後も続けていくようであれば、
近い将来あなたは大きな困難に直面することになるでしょう。
それは奏法の問題という形となって現れるかもしれない。
音楽性の欠如として現れるかもしれない。
音楽をやる者として
看過すべからざる大問題です。
ただそれより何よりあなた自身が
楽しくないはずなのです。
鍵盤に触らずして上手くなる方法
奏法が妙な方向へ向かわないために、
常に音楽的な演奏をするために、
そして何よりあなたが心から
音楽を楽しむために。
練習せずして上手くなる方法、それは
「聴くこと」です。
上のお話にあった井崎さんのように、
好きなピアニストの生演奏を聴くのは、
大きな感動が得られることで、
あなたの中の音楽に最も大きな影響を与えることでしょう。
それを毎日できればいいのですが
現実的には無理です。
毎日聴くことが重要なのです。
たまに思い出した時に聴くだけでも
効果はありますが、
人前で演奏するあなたは
音楽をイメージする癖づけをしなければなりません。
それには毎日聴くことが必要なのです。
とすれば、録音を探すのがいいでしょう。
あなたが心から共感し感動する音楽を
探してみてください。
そしてそれを毎日、
耳について離れなくなる、
そういうレベルまで聴き込むこと。
これが手っ取り早い方法です。
当然、この方法によって得られた音楽のイメージというのは
あなた自身のものでなく、
その録音された演奏家の音楽です。
だからパクリじゃないか。
モノマネじゃないか。
そう思われるかもしれません。
でも一言言わせてください。
イメージのないあなたの今の演奏は
音楽ですらありません。
モノマネの音楽はまだ音楽たり得ますが
あなたの演奏はそれ以下です。
そこから脱するために、
まずはモノマネでもなんでもいいから
やってみろよ。
大丈夫。
あなたの音楽はそこからちゃんと生まれてくるはずです。
ごく自然に。
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